2013/10/06

科学探偵 Mr.キュリー


楽天カード作ったら、楽天が提供する電子書籍サービスの「楽天kobo」で「500円まで本買っても良いよ」的なサービスがきたので、せっかくだから利用して見た。

とはいっても、読みたい本は600円とかだし、期限あるしで、適当にこの本をば。

内容は、言ってしまえば東野圭吾のガリレオと全く同じような感じなんだけど、これがなかなか面白かった。


あと、電子書籍ってめっちゃ便利だよね。

僕は本、と言うか紙をめくる動作が好きなので、電子書籍はあまり利用してこなかったんだけど、今回改めて感じた電子書籍の便利さは2つ。

・普段、小説を読むのは通勤途中の電車の中なんだけど、雨の日は本を濡らしたく無いので、家に本をおいていく。電子書籍ではその心配なし。

・小さな携帯の中に、何百ページ、何百冊でも本が入る。持ち運びもたやすい。

基本、AmazonのKindleで管理したいから、楽天koboはもう使わないと思うけどね。

2013/10/04

心優しき巨人、ダイダラのボッチ

昔々、あるところに小さな村があった。

村の外れの流れが速い河のそばで、ダイダラのボッチという体がとても大きな青年が暮らしておった。

その風貌から村人にも恐れられていたため、いつも一人で暮らしていたダイダラのボッチだったが、別にさみしさは感じなかった。

人間の友達こそ居ないものの、豊かな森と河からとれる魚があるので、食べるものには困らない。

ダイダラのボッチは、ずっとそうして暮らしていけばいいと思っていた。



ある時、河の流れる音に交じり、「助けてー!」という声が聞こえた。

見ると、女の子がおぼれているではないか。

いくら体が大きいとはいえ、流れの速い河から人を担いで岸に上がるのは危険であったが、ダイラダのボッチはすかさず河に飛び込み、なんとか命からがら女の子を助けた。

 「おじさん、ありがとう。アタイはオハナって言うの。お魚を見ていたら足を滑らせちゃって。あら?あなた、もしかして河太郎ね!」

 「カ、カワタロウ?オ、オデ、ノ名前、ダイダラノボッチ。」

 「違うの?おっとうとおっかあが、河の近くに住む河太郎は、人間を取って喰うから近づいては行けないって言われているの。でも、助けてくれたし大丈夫そうね。アタイ、そんな鬼の様な人がいるわけないって思ってたんだ。やっぱりそうね!」

 「オ、オデ、言葉、上手クナイ。ゴメン。」

 「ううん、いいの。アタイ、口から生まれたんじゃないかって、いつもからかわれるのよ!あ、行けない!もう行かなくちゃ!ありがとうね!河太郎!」

 「オ、オデ、ノ、名前、ダイダラノボッチ...。」

その後もオハナは両親に隠れて、頻繁にダイダラのボッチのところへ遊びに来てくれた。

 「ねえ、河太郎はなんで一人で暮らしているの?おっとうは?おっかあは?」

 「オ、オデ、ノ、名前、ダイダラノボッチ。オットウハ、イツモソバニイル。オッカアハ、河デ、イッタ、ドコカ。」

 「んー、よくわからないけど、船で旅をしているのね!早く帰ってくると良いね!」

 「ウ、ウン。オ、オデ、言葉、上手クナイ。ゴメン。」

幼くして両親を亡くしてからというもの、会話したことが無かったダイダラのボッチであったが、オハナとのおしゃべりが何よりの楽しみになったそうな。

そんな幸せな出来事もつかの間。

ある日、最近オハナの様子を変に思い、父親がオハナにこっそり付いてきた。

 「お前は河太郎だな!うちの娘をたぶらかすのはやめてくれ!もう二度とうちの娘には会うな!」

 「おっとう!違うの!河太郎は河でおぼれたアタイを助けてくれたの!悪い人じゃないよ!」

 「何?それは本当か?」

それ以来、村人にうわさが広まり、ダイダラのボッチの元へは沢山の村人が遊びに来るようになったそうな。

 「河太郎!お前、両親はどうしたんだい?」

 「オ、オデノ、オットウ、、、」

 「おっとう!河太郎の両親はね、船に乗って旅をしているそうよ!」

 「そうかい?そんな人の話は聞いたことねえんだがなあ...」

 「おい河太郎!大工仕事手伝ってくれねえか!」

 「オ、オデ、ノ、名前、ダイダラノボッチ。オ、オデ、オ仕事、ガンバル。」

体の大きなダイダラのボッチにかかれば、村人が苦労する木材の運搬はつまようじを片づけるがごとくたやすいことだった。

村人の手伝いをして感謝されることに、今までに無い楽しさを感じていたダイダラのボッチは、今では温かい村人に囲まれ、とても幸せに暮らしていた。




ある年の雨季の出来事じゃった。

例年にも増して長く降り続いた雨は、河の水を増水させ、ついには氾濫。

村が河に飲みこまれそうになった。

「みんな逃げろー!早く山に登るんだ!」

村人全員、何とか山の上に避難したが、ダイダラのボッチの姿だけは見当たらない。

しかし、量を増す河の水が村を飲み込むのは時間の問題だった。

そして、村人たちはそれをただただ黙って見ているしかなかった。

 「ちくしょうー。ううっ。せっかく河太郎に手伝ってもらって作ったオラの家。うっうっ。」

その時だれかが叫んだ。

 「山だ!山がうごいちょる!」

    「河太郎か!?あれ河太郎でねえか!?」

増水した河の水を塞き止めるべく、大きな大きなダイダラのボッチがせっせと動いては、土を盛って水を塞き止めようとしているではないか。

 「河太郎ー!河太郎ー!」

 「オ、オハナ、ココ、来チャ、ダメ。山、逃ニゲル。」

 「河太郎!早く!河太郎も一緒に逃げようよ!」

 山の上の村人もそれに気づいた。

 「お、おい!アレをみろ!オハナだ!」

 「本当だ!おーい!オハナ!早くこっちに来い!危ないぞ!」

しかし、水かさは増し、いよいよ村を飲み込もうとしていた。

そのとき、ダイダラのボッチが叫んだ。

 「オ、オハナ、ニゲル。オデガ、ココデ塞キ止メ無イト、村、無クナル。ズット一人ダッタ、オデニ、優シク、シテクレタ、皆ノ、村。無クナル、オデ、悲シイ。」

 「でも、河太郎が一緒じゃなきゃいやだ!」

 「オ、オデ、河太郎。頑張ル。ミンナト、楽シク暮クラセテ、ヨカッタ。オハナトノ、話、楽シカッタ。初メテノ、友達、嬉シカッタ。コレカラモ、皆ノ、ソバデ、居ル。」

 「本当?約束だからね!」

そういうと、オハナは泣きながら走って山に逃げた。

それを見たダイダラのボッチは、安心したかの様な笑顔を見せた。

そして、ダイダラのボッチの体が光り、大きく大きくなっていくではないか。



気付くと雨は止んでいた。

しかし、ダイダラのボッチの姿は見えない。

代わりに、村と河との間に大きな小高い丘があるではないか。

 「あんべまー、河太郎のやつ、山神様のせがれだったんだべか。」

こうして、村は小高い山のおかげで、それ以降河の氾濫におびえる事なく、村人はずっとずっとダイダラのボッチに見守られるように幸せに暮らしたとさ。



これが、毎週土曜日に我が家に現れる、「オ、オデ、オ掃除、頑張ル」でおなじみの、心やさしき巨人「おみ太朗」のモデルであった。

っていう、妄想昔話(笑)


2013/09/08

インディージョーンズ クリスタルスカルの王国

なかなか名作だと思うんだよね〜。

やっぱり夢があるし、ザ・アドベンチャー映画だと。

後半まったく別の映画だけど笑



東京オリンピック開催キター!

やりましたなあ!

IOC加盟国が200カ国くらいあって、オリンピックは4年に一度の開催だとすると、単純に800年に一度のチャンスになるわけだけど、1964年開催依頼56年ぶりに同じ東京で開催するって、なんかすげえ。

あと、これ怖い笑

AKIRAの舞台は2019年。
翌年にオリンピック開催。


2013/09/06

紅の豚


これぞ男の闘いだよね。

リーダブルコード


面白かった!

これ読んでるのとそうで無いのとでは、全く違うんじゃないかな。

少なくとも僕は考え方か少し変わったね。

これからも、綺麗なコードを書くべく、日々精進あるのみ!

2013/09/04

記憶フォーマット=KVS?


今日は大手町でうちあわせ。

東京駅綺麗やねえ。

えー、久しぶりの独り言です。

普段よく妄想してるんですが、そこで思いついた事は書き出しておきたくなるよね。

本題。

すこし前にテレビで、「人間は一度覚えた事は忘れない。ただ思い出せないだけだ。」という物を観た事があってね。
それが本当ならば、人間の記憶に関する容量ってめっちゃ多いんじゃない?って思った訳です。
この容量については後述。

そして、「思い出す」という行為がどういったかと言うと、本で言うならば記憶に「しおり」を付けるという事らしい。その「しおり」さえあれば、どんなに昔の記憶でも思い出せるんだとか。
(その「しおり」も記憶の一部なんじゃないかとおも思うんだけど。)

僕のおそらく最古の記憶は、姉二人がお父さんに連れられておばあちゃんの家に遊びに?行くのだけども、僕だけは何故か連れて行ってもらえず、ただ泣いているだけという。そして、お母さんが「じゃあ一緒にスーパーに行こうね。ナントカレンジャーのお菓子買ってあげるからね。」というもの。
確か、その後ナントカレンジャーの人形がついたお菓子(おまけ付きグリコのような)を買ってもらえた覚えはあり、僕自身はその人形を集めたいんだけど、毎回無くしてしまうんだよなあ。

この記憶に「しおり」を付けるとするならば何だろう。まあ、「最古」「置いて行かれて悲しい」「でもお母さんにスーパーに連れて行ってもらい嬉しい」「ナントカレンジャーの人形がついたお菓子を買ってもらえて嬉しい」とか?
もう少し細分化されるかな。

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エンジニアなら気づいてもらえるかもしれないんだけど、これってKVSじゃない?ってのが今日書きたかった事。

KVSってのはデータベース(システム業界で言う情報を格納しておく物)におけるデータの保存方法概念とでも言えばいいのかな。
「KVS=Key Value Store」というもので、細かい説明はできないんだけど、要するにデータにしおり(Key)をくっ付けて管理しようってイメージ。
そこまで詳しい訳じゃないけど、KVSは確か大量データを扱うのにとても優れているとかいないとか。たぶん盛大に間違えてるかもだけどw

でも、物理的なストレージ(容量)はある訳で、幾らKVSとはいえ限界は有るんだろうなあと。

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そして始めの容量の話に戻る訳ですよ。

「人間は一度覚えた事を忘れない」って事は、「容量無限じゃないか?」となり、人間の記憶のフォーマットは「しおり」の概念から導きだされるいわゆるKVSであるからして、じゃあ「データベースと人間の脳みそ(記憶を司る海馬)の差って何よ?」と妄想していて気づいた次第。

そもそも、「人間は一度覚えた事は忘れない。ただ思い出せないだけだ。」という理論がすべて正しかったら...の話なんだけどね笑

まあ、その差を調べるのは偉い学者さんにしてもらうとして。人間の記憶の仕方だったり、象の鼻が長いのだったり、キリンの首が長かったりなんなりといった事から、KVSの様な何か新しい事を創造出来ないかね。

今日も纏まらず〜w